8月15日、1945年・1971年: 金銀投資作戦参謀本部T・U

2011年08月15日

8月15日、1945年・1971年

今日は、8月15日。 日本の敗戦を象徴する日との私の認識。
 
1945年は大東亜戦争に敗戦。 1971年は通貨戦争に敗戦。 

プラザ合意が日本の経済戦争敗北の始まりと未だに思い込んでいる経済学者や評論家がいるが、そのような発言や本を目にしたら、瞬時にその連中は大したことないと考えて宜しい。 この辺のことは、増田悦佐さんも即座に同意してくれるでしょう。 

今日は、経済戦争に於けるミッドウェー海戦から40年。 さすがに震災で打ちのめされた日本にこれ以上露骨な策をこの日に打ち出してくることはないでしょう。

しかし、今日が何の日であるかは、日本人一人一人が記憶しておいた方がいい。

日本社会における「空気」の研究で有名な山本七平の『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』敗戦記念日の今日、あらためてパラパラと読んでいます。 ほとんどの読者は興味ないと思いますが、小室直樹の重要性に気付いている方ならこの人を知らないというのはマズイ。

P.S 8月15日前にマカ男さんは、無条件降伏されました。  堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、チンはマッカアチャン元帥ニ通告セシメタリ。 

これにてマカ男さん劇場は暫くお休みです。
posted by kanji at 19:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 金銀現物・ETF・先物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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ここに石原莞爾の項目があります。
Posted by 実閃禅師 at 2011年08月15日 19:15
永田鉄山の惨殺は残念としか言いようがありません。 石原莞爾は永田のようにバランスのとれたトップではなかったですから。  日本人の出る杭は悲劇を迎えることが多すぎると思います。
Posted by Kanji at 2011年08月15日 21:40
 昨日、靖国神社へ行ってきました。
 警察といっても私服の警察官が多かった。
 在特会とか言う、団体が抗議活動をするそうで、それにしても多いなと思った。
 風がよくふき、心地よかった。
 警察は異様と思えるほど、在特会を警戒しているようであった。
人に聞くと公安の人が多いと話していた。
写真班という腕章をはめた警察官が多くいた。小柄の女性もいた。
九段下の交差点で、抗議場所と反対側に、中がわからないボックスカーがあり、その上に大きなカメラがあって、撮影しているようであった。 ためしに抗議場所からそのカメラを見ると街頭が邪魔しているから、位置としては悪いが他に場所がないのだろう。
 現場の警察官の表情は悪い感じがした。なんとなくしたくない仕事という感じであった。
 警備の手際はいいとは思われなかった。おそらくこれだけ多くの人が集まるとは予測していなかったのではないか。ざっとみて1300くらいか?反対側の人も入れると1600くらいはいたのではないか。
 いろいろな人がきていた。
会長と思しき人が<あなた方は日本人として悔しくはないか>と述べているときは警備の人の表情が動くのが見えた。また<警備責任者はここへ来い、俺を怒らせるな>とも述べていたが、そのときはシーンとした莞爾であった。順次素人と思える人がそれぞれ主張をうったえていたが、演説に慣れていなくて、声が割れたり、早かったりして、聞こえないときがあった。
最後に在特会は<天皇陛下万歳>と叫んでいた。
野次馬として終わりまで見ていた。

石原莞爾はいまだよんでいませんが、彼がなぜ日米はたたかうと見ていたか?二次資料から見ると日蓮宗信者で一種の運命論者
でしょう。
 なぜアメリカと組んで世界制覇を考えなかったでしょうか?
当時の軍事力、特に海軍力を見れば、それを考えるのが普通だと思いますが。
また満州を押さえて、アメリカと戦って勝てると本当に思っていたしょうか。
彼のシナ論を最初に読みたい。
Posted by kenji at 2011年08月16日 14:45
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