ロシア人について: 金銀投資作戦参謀本部T・U

2010年11月01日

ロシア人について

今日のニュースでロシア大統領のメドベージェフが国後島を訪問したというニュースが盛んに流れています。

以前の私のブログで日露戦争時に、6000人を遥かに超えるロシア人捕虜を道後温泉にまで連れて行って手厚い扱いをしたにも拘わらず、大東亜戦争敗戦時に日ソ中立条約を勝手に破って日本人婦女子にたび重なる強姦、虐殺、強盗等の暴虐の限りを尽くしたという記事を書いたことを記憶されている方もいると思います。

この日本女性に凌辱の限りを尽くしたロシア兵達は、日本侵攻前にドイツでドイツ人女性達にも凌辱の限りを尽くしてきました。 この辺は『ベルリン終戦日記―ある女性の記録』に詳しいので興味のある方はお読みください。


一説には二百万のドイツの女性がレイプの犠牲になったと言われている。 一方、二十万近くの女性が陵辱されたと書かれている本もある。ドイツの男性は女性を守れなかった。それはもっとも聞きたくない事実であった。 



私には、不動産調査を兼ねたロシア極東旅行時にロシア人の友人ができましたが、それはそれでロシア人の考え方は、大東亜戦争敗戦時と全く変わってないと断言できます。

ロシア極東には、日ソ合弁で造られた、ガスチーニッツア(ホテルの意味)サッポロ、アクフェス西洋等のホテルがありますが、全てロシア人マフィアに乗っ取られたホテル群です。(ロシア極東でビジネスしている人ならわかるでしょう?)

知り合いの日本人の露語通訳(以前に書いたとおり、半端なレベルの通訳ではありませんよ)と北方四島について話したことがあります。  私は「もう一度ロシアと戦争して勝たない限り北方四島は戻ってこないと思いますよ」と答えたら、「その通り!」と断言されました。 

月給取(言わんとしてることわかりますね?)の馬鹿官僚の隣で何度絶望的な思いをしたことかと思いで話を語ってくれたことがありますが、本当に暗澹たる気持ちになりました。

私も今さらながら、アホ政治家達に絶望的になりますが、そのツケを被ることは我々自身になることを忘れないでください。  あなたの愛する恋人や妻、そして娘までも同じ目に合わないなんて誰が断言できようか?

ここに、日ソ中立条約を破って火事場泥棒的に攻め込んできたロシア人に凌辱された日本人女性の記録を貼り付けます。


引き揚げ 葬られた胎児 65年目の「遺言」

戦後、大陸から最多の人が引き揚げてきた博多。 女性たちの隠された悲劇がそこにあった。

万葉集にも詠まれた福岡県筑紫野市の二日市温泉。 福祉施設の裏手に、穏やかな顔つきの 水子地蔵がひっそりと建てられている。  赤ちゃんを胸元でしっかりと抱いている。

1946年3月 から1年半の間、ここに、大陸からの引き揚げ中に強姦被害に遭った女性たちの堕胎施設が開設されていた。 国公認の「二日市保養所」。 木造2階の建物とドーム屋根の温泉があった。

「母親の感情が出てしまうから、絶対にオギャーという泣き声を聞かせたらいけない。 医師か らそう言われ、私も首を絞めました」 当時20歳の元看護師、村石正子さん(84)は約3ヵ月、 看護師10人の1人として連日のように手術に立ち会った。

終戦後の大陸では、直前に宣戦した旧ソ連軍の兵士らの暴行が女性たちを恐怖に陥れていた。

「マダム・ダワイ!」(女、出てこい!)。 市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」のメンバー 山本千恵子さん(73)は9歳の時、今の北朝鮮東部でサーベルを持ったソ連兵が毎晩のように 怒鳴り声を上げ、若い女性たちが床下に隠れていたことを覚えている。

「当時、辱めを受ける のは死に値するようなことだった。 引き揚げ船から海に身投げした人もいたと後に聞きました」

二日市保養所の開設は、今のソウルにあった旧京城帝大の医師らでつくる「在外同胞援護 会救療部」が旧厚生省に働きかけた。 引き揚げ船内で「不幸なる御婦人方へ」と題し、利用 を促すチラシが配られた。

地元紙には旧厚生省と連名の広告も掲載された。

村石さんは日本赤十字社の旧京城救護看護婦養成所で終戦を迎え、種子島の母方の実家 に身を寄せていた。 そこへ呼び出し状が届いた。 約15キロ北西の博多港に引き揚げ船が着く たび、女性たちがトラックの荷台に乗せられてきた。

「男に見せかけるためか髪を短く刈り、やせて汚れていました」。 村石さんたちは「お帰りな さい」と手をとり、温泉で背中を流してあげた。 女性たちはほとんど何も話さなかった。

器具で胎児を出す手術は、医薬品不足で麻酔なしだった。 「頭のほうから両手を握ると、指が 折れると思うほど強く握りしめられました」。 「ちくしょう!」と叫んだ女性もいた。 妊娠5ヵ月以上 なら陣痛を促し、出てきた胎児の命を絶った。

子どもの首を自ら絞めたのは、昼休みで食事に行こうとしていたときのことだ。 苦しそうに 「看護婦さん」と呼ぶ声が聞こえた。 赤ちゃんの頭が出そうだった。 医師は休憩中でいない。  とっさに首に手をかけた。 子どもの髪の毛は赤く、鼻が高かった。 かけつけた医師は、いつも のようにメスを子の頭に突き刺した。

「望まれない子どもであっても命は命。 ただ、当時は、女の人たちに無事に故郷に帰って もらうことに意識が集中していました。  胎児たちは5、6本あった桜の木の根元に埋葬された。  「考える集い」が1998年につくった冊子に掲載された保養所の元医師の証言によると、施設が 閉鎖された47年秋までに400〜500人が手術を受けたという。

村石さんは結婚後、看護師を続けながら3人の娘を育てた。 50年間、保養所のことは家族を 含め誰にも話さなかった。 しかし96年ごろ、跡地に水子地蔵が建てられていると元同僚から 聞き、97年春の供養祭で初めて体験を明かした。 2人の医師は亡くなり、今では唯一とも いえる語り部だ。

9月18日には九州大学で開かれるシンポジウムで証言する。
大勢の学生らの前で話すのは 初めてのことだ。 痛ましい記憶を話すのはつらい。 「けど、あの女性たちは自分の傷を誰にも 言えなかった。 それを思うと、私が話さなきゃいけない」と感じている。 「戦争は女こどもが一番 つらい目に遭うんです」

●引き揚げ
厚生労働省の記録などによると、
終戦時、軍人・軍属・民聞人を合わせて660万人以上の 日本人が海外にいた。 各地の引き揚げ者は、博多が1947年、佐世保が50年までに各139万人、 舞鶴は58年までに66万人など。

二至村菁(にしむら・せい)・トロント大学アジア研究所客員研究員によると、舞鶴でも旧国立 舞鶴病院で堕胎手術が行われた。引き揚げ体験を語り継ぐ「引揚を記念する舞鶴・全国友の 会」の藤村正巳・事務局長は「隠れた悲劇」と話す。

(終わり)
2010年8月14日土曜日 朝日新聞 朝刊 30面 より

posted by kanji at 22:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 著者の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本人はこういう事実を知らない人がほとんどだと思います。日本人は中国人・ロシア人と仲良くすることは不可能なのでしょう。領土問題で中国・ロシアに常に悩まされ続け諍いの耐えない日本との関係。それをアメリカは喜んで高みの見物です。アメリカは日本と中国が険悪の仲になり、アジアが不安定でいつか戦争になればいいと思っているでしょうし。日本に強いリーダーが早く現れてほしいです。貴方様は誰が総理にふさわしいと思われますか。私は小沢さんです。
Posted by ぷりん431 at 2010年11月03日 07:46
総理大臣ですか…難しいですね。

私は小沢は、師匠の角栄がアメリカに殺されたのを間近で見ているのでアメリカに対してルサンチマンを持っているでしょう。  アメリカ憎しもあって、中国にすり寄っていったのを見るととても任せることはできないと思います。  ロシアも中国も本質は強盗国家です。  その本質を真に理解している政治家がいるとはとても思えません。

アメリカもスマートな強盗国家のようなものですが、国家の本質はすなわちそのようなものであるということを日本国民も再認識する必要があります。  マキャベリズムを駆使して中国の圧力を減じるためにチベット・ウイグル独立派に資金援助して分裂に持っていくとか、露西亜は条約に違反して侵略し占領した事実とその際に行った蛮行をベルリンと結びつけて世界に周知させていくとか、やり方はいろいろあります。  
Posted by Kanji at 2010年11月03日 10:46
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