金銀投資作戦参謀本部T・U

2011年06月19日

石原莞爾の記録

昭和22年5月1日、東京裁判酒田法廷での裁判長・検事とのやりとり

裁判長 
「尋問の前に何かいうことはないか」

石原莞爾
「ある。 不思議にたえないことがある。 満州事変の中心はすべて自分である。 事変終末の錦州爆撃にしても、軍の満州建国立案者にしても皆自分である。 それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない」

裁判長も検事も狼狽して

裁判長
「ジェネラルは戦犯として取り調べるのではない。 証人として調べるのだ」 「証人はそんなこと言ってはいけない。 こちらから訊ねることに対し、『イエス』か『ノー』かを答えればよい」

と注意して検事の訊問に移った。

検事 
「満州事変に於ける日本軍の被害の程度はどうか」

石原莞爾
「被害の程度をいい表わすのに日本語には生憎『イエス』『ノー』といった言葉はない」

皮肉たっぷりに切り返すと法廷は再び爆笑に湧きかえった。

横山臣下平著『秘録石原莞爾』より

2011年06月17日

石原莞爾の記録

石原莞爾は後年、今の教育で非常に悪いことは悪平等ということだとして、小学校時代をこう回想している。

「私は小学校時代で割合できる方でしたが、授業は一番できないビリを相手にするから、五十分の時間退屈して困る。 仕様がないから、先生の隙に乗じて前の頭をコツンと殴る。 それから先生があまり油断してをると、奇襲作戦の稽古として、二三人おいた先を殴る。 大体成功しますけれども、時々発見される。 「一寸立てッ」といふ、家へ帰っちゃいかんと云ふ。 確かに自分が悪いと思いますけれども、どっか割り切れないものがあった。 私が今のやうにひねくれた様な気持ちをもつのは、全部小学校で猛訓練された結果です。」  1942年4月号『東亜連盟』所収

2011年06月16日

石原莞爾の記録

昭和21年初頭、飯田橋の逓信病院に於ける検事の訊問

検事 
「戦犯の中で一体誰が第一級か」(東条英機と答えるのを期待している)

石原莞爾
「トルーマン」

検事 
「それは大統領のトルーマンか」

石原莞爾
「そうだ」

検事 
「どうしてか」

石原莞爾
トルマーンが大統領就任の時ばらまいたビラに『もし日本国民諸君が軍人と共に戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を問わず全部爆殺する…』と書いてある点を示し「これはなんだ。 国際法では?非戦闘員は爆撃するな″と規定があるにもかかわらず、これは何か」

検事 
「あれは脅しだ」

石原莞爾
「そうではない。 このビラの通りに実行したではないか。 B29が軍需工場でない所、戦闘員以外の民衆をすべて爆撃したではないか。 広島や長崎は一体どうしたことか。 トルーマンはこのビラの通り実行したではないか。 このトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に値するものである」

横山臣下平著『秘録石原莞爾』より
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